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つれづれ散歩 ~建築~

2007年08月01日作成 

散歩前に

親しい友人の一人にアメリカ育ちアメリカ国籍のミラノに住む日本人がいる。初めて会った晩に、日本人観光客にも有名なミュンヘンのホーフブロイハウス(1)で、ソーセージとビールを愉しんだのは良い思い出だ。お互い1リットルのビアグラスを片手に海外暮らしと文化比較を語りだす共通点はあったものの、専門分野はというと彼はコンピューター、僕は建築。コンピューターの世界はずいぶんと遠い世界の気がしていたけれど、彼の笑い話は少しその距離を近くしてくれた。
建築を学ぶつもりだった彼は、さっそくロスの大学でArchitectureの文字が躍る学科に登録した。けれども僕のような建築学生にはならずに、そのままIT畑を歩むことになる。Architectureとは建築のことだが、IT用語では「ハードウェア、OS、ネットワーク、アプリケーションソフトなどの基本設計や設計思想のこと(2)」を指す。僕の友人はそんなことは露知らずArchitectureを教えてくれるコンピューター関連の学科に入学して、いてもたてども製図の授業が始まることはなかったというオチだ。
前置きが長くなったが、ITの世界でArchitectureという言葉を使うのはそれなりの理由があり、建築とITを比較したり参照したりしてみると面白いかもしれないというのが思い漂う「つれづれ散歩」のきっかけである。

さて、建築って?

「建築」と言われても、ビルや家を造る技術という認識しかないかもしれない。「そうでしょ?」と言われてしまうとおっしゃる通りなのだが、少し筋の良い人は(筆者の独断)「建築とアートはどう違うの?」と聞く。建築がアートかどうかは少し置いておいて、まず自分の周りで建築がどこにあるかを探してみよう。

朝日が差し込み目覚める部屋、後にする自宅、外観をのぞかせる隣の家、電信柱が立ちならぶ道、駅へ向かう途中の商店街、歩いて到着した駅、車窓からのぞく町並み、高くそびえるオフィスビル、働く事務所。朝起きてから、職場に着くまでの間にも随分と建築だらけであることが分かる。他にも建築を見つける面白い場面がある。自民党について報道する時には自民党ビルが、ライブドア事件というと六本木ヒルズの映像が映し出される。建築はこのように何かを象徴して伝える役でもある。

こうしてみると僕等は知らず知らずに随分と建築に囲まれて生活している。建築を造るには、例えばリビングの計画一つをとっても、床材を木にするのかレンガやタイルにするのか、木材ならば仕上げやフローリングの目地幅はどうするのか、天井は高いのか低いのか、高いのならば3mなのか2.7mなのか、窓はどんな窓にするのか、開ければそのまま庭に出るのかそれとも天窓で光だけを採り入れるのか、無限ともいえる沢山の可能性を探して選択したり組み合わせたりすることになる。出来上がったものには良し悪しや一長一短があって、比較検討もできるし、秀逸な茶器のように凛と立って他とは比べられない美しさや価値を持つこともある。
美しさや価値という側面に目を向けると、日本の茶室や庭、エジプトのピラミッド、フランスのエッフェル塔などなど、建築は当時の先端技術の結晶であると同時に文化を伝える大きな存在となっている。ユネスコ(3)の世界遺産(4)などはそのほとんどが建築ではないだろうか。つまり人類の記憶のほとんどを包み込んで後世に伝えているわけだ。都知事に立候補した黒川紀章(5)氏の言を借りると「建築はその時代の精神的表明であり、思想の表現」である。
思想や精神が反映されるということについては資本主義と共産主義で引き裂かれていたベルリン(6)の西と東を比べると分かり易い。街の印象が大きく違うのも、東西の経済格差だけではなく、社会主義の思想が色濃く建築に反映されているからに他ならない。気候や環境も建築に反映される大きな要素だが、たしかに人の考えや思いもまた表層に現れ出て僕等に強い印象を与えている。

じゃ、アートなのそれ?

さて建築もただの技術の話ではないのだというところで「建築とアートはどう違うか」という質問に戻ってみよう。

建築とアートは同じように創作性に溢れている。しかしやはり違う。家には家、図書館には図書館などと機能や用途があること。この「機能」と「使う」ことは絵画や彫刻、音楽などの純粋芸術と建築の大きな違いだろう。芸術が機能を持って説明がましくなると芸術性が落ちると言われるが、建築は安心の構造技術と快適な設備技術をバランス良く備えながら、文化にも昇華する美しさ"建築美"の創出に挑戦するものだ。
衣食住とは良く言ったもので、「住」の確保、つまり「建築する」ことは食べ物や衣服と同じように人にとって必須となる。しかしながら食べ物や衣服と比べると、手のひらで転がしたり引き裂いたりできるサイズではなく、人を取り囲む枠組みとなる大きさの違いがある。もともと人の頭の中で思い描かれていた建造物や空間のイメージが現実になったとたんに人の手から離れて、人の行動を制約したり、作り出したりし始める。例えば野原に工場ができたとすると、そこでバーベキューをするには不便となるが、新しく作られた空間が特別な生産活動を可能にする。建築が建ち上がると、私達の頭の中に囲っていたイメージに私達が囲まれるという逆転現象が起こる。これはなんとも愉快ではないだろうか。

アートも人の頭にある思いやイメージを絵画や彫刻などの形にして、なにかを伝える表現や鑑賞の対象となる。建築の場合には鑑賞の対象や表現であると同時に環境となるところが決定的な違いだと思われる。建築による「なんとも愉快な逆転現象」は大きく、長い期間に渡る。純粋芸術を避けて生活できても、建築は環境となるので、これに囲まれて生活することになる。

これは嫌でも多くの人に影響を与えるということだから、建築はとても社会的(7)なシロモノだと言える。だからこそ、その良し悪しは多くの場合に観念的ではなくて客観的、批評的なものさしで計られて当然だろう。これは建築を他の創作と大きく異ならせている点で、建築が美学のみで計りきれない評価軸を持っているゆえんとなっている。しかしながら空間美とか建築美というのは絶対に存在しているし、これは審美的(8)なものである。美しいとか格好良いと感じるものには素直に良いと言えばいい。しかし審美的に良いと思い入れた建築が必ずしも良い建築だとは限らないということもまた事実だ。

さて、建築家って?そしてシステムって?

実は建築という言葉は文明開化の時に出来た造語である。それまで使っていた普請とか造作という日本語ではアーキテクチャーにはしっくりこなかったのだろう。そしてアーキテクチャーを造る人、Architect(アーキテクト)は、その道の人ということで建築家と呼ばれるようになった。
ITを専門とする人はアーキテクチャーを創るわけだから、アーキテクトが意味するところを知っておいても損はないだろう。少しわき道に逸れるようだけれど、映画マトリックス(9)にはマトリックスの世界を創った神様のような役回りの人(白髪のおじさん)が、「自分はアーキテクトだ」と言って登場する。マトリックスの世界(枠組み)-Architecture-を設計した人だからArchitectというのは、きっと欧州言語圏の人にはすんなりくる表現だろうと思う。

では日本の建築と欧州のアーキテクチャーの違いとはなんだろうか。「前者が政治的であるのに対して後者がジャーナリックだ」とは、ドイツに留学していた先輩に頂いた言葉。これはなかなかに当を得た答えだと思う。実は日本の建築というのは世界的に非常に評価が高く、2000年前後はオランダ建築界(10)と日本建築界が世界の建築デザインを牽引していたといっても過言ではない。日本のデザインは自由なことでよく知られている。オランダ建築も一見すると同様に自由で奇抜なのだが、その源泉は水と油ほども異なる。

戦後の目まぐるしい変容や持家政策などを背景として、日本の都市が景観保護を十分に論議することも、都市空間での公共性について価値基軸を持たないままでいるせいもあるが、日本の建築は主観的(11)に造られる。一方で近代の遺産も含めて歴史的な文脈と保存についての論議が成熟し、公共の考え方が定着していることもあり、欧州の建築は客観的(12)に造られる。みんなが主役でいようとするのが日本の建築で、それぞれが一軒で建っていればそれなりのものが並んでいる。一方、欧州のアーキテクチャーは主役か脇役かといった役割がとてもはっきりしている。一都市をオペラの一演目に例えるならば、それぞれの建築は与えられた役を咀嚼して演じきる役者のようなものである。
役割を考えるのは用途や場所を踏まえることから始まるが、主に「建ち方」をどう考えるかという点が大きい。ドイツの建築家オットー・シュタイドル(13)の右腕としてトリノオリンピックの選手村計画、テレージアンフォーフェ計画などに携わったヨハネス・アーンスト(14)によるプレゼンテーションはそれをよく物語っている。

彼らは大規模な都市計画を手掛けているので集合住宅のプロジェクトが多い。ヨハネス曰く、彼らの仕事は「3つに分類できる。都市の中に建つもの、自然環境の中に建つもの、そして郊外(15)に建つもの」。これはたとえ素晴らしいコンセプトやデザインがあっても、自然環境の中で考慮したものを都市環境にそのまま持ち込まないということである。また時代や社会、生活する人の在り方を考慮した結果として、彼らは都市、郊外、自然環境にそれぞれ別の建ち方を提案すべきだと思ったということでもある。当たり前に聞こえるが、この「建ち方」に対する良し悪しや定義がはっきりとしていることが欧州のアーキテクチャーと日本の建築との決定的な違いに思える。間取りや意匠デザインを考慮する前段階で、アーキテクチャーはかたちになるものと言葉にしかならないもの両方の「建ち方」について答えを探さねばならず、これはとても政治的な作業でもある。

日本の景観を眺めてみると、都市、自然環境、郊外という線引きすら難しい。建物もどの場所でも全く同じ建ち方をしていることが大半だ。建売住宅も風景の良いところに一棟建っていれば整って見えるかもしれないが、現実は東京の真ん中でも千葉の住宅地でも那須の山奥でも同じ建ち方しか知らない。分譲マンションも同様で、建ち方が知的なものは皆無と言っても良い。いわば自由な建ち方が都市空間や郊外でこれまた自由に並んでいるのが建築自由のニッポンの景観だ。しかしこれによって住まい方と建ち方の間にギャップを生まれて、合わない靴を履き続けるようなストレスを日々の生活が抱えることになる。ともすると建築家の設計も場所や用途に対して建ち方が大袈裟すぎることもある。作家性の強いデザインを完全に否定は出来ないが、オペラの演目に例えるなら、コーラスの一人のはずが下手な独唱を始めてしまったようで、建築的には流せてもアーキテクチャー的には醒めるのを通り越して悲哀さえ漂う。演劇まだしも、社会性の強い建築で前衛たるのは並の仕事ではない。

よくガウディ(16)などの変わった建築が日本でも取り上げられるが、バルセロナには役割をわきまえた幾多の平凡な建築があること、ガウディ建築も個性的なデザインだけでなく、都市や社会の文脈の中での建ち方も考慮に値することを見落としてはいけない。オランダ建築や脱構築主義(17)などの表層に現れる新奇なデザインの裏には、歴史、社会、都市の中での建ち方についての議論があるのを忘れてはならない。
建築的な視点では前衛的な表層デザインやデザイン哲学のみに目が行きやすい。この視点は一つの作品を造るデザイナーに絶対に必要なものだ。しかしアーキテクチャー的な視点にはこれに加えて批評的かつ客観的に解を導き出しながら対象の在り方を探すことが問われる。なぜならアーキテクチャーとは、人(主体)から外へと創造力豊かに広がってゆくと同時に、社会(外)から主体へ向かって「こう在るべき」と規定するものであり、そのいずれの方向を見失っても、人が必要とし充足を得る環境を用意できないからである。
さて、ITの世界でアーキテクチャー構築にあたるアーキテクトはどう思われるだろうか。リアルに成立して久しい建築と都市にヒントを探し歩くのも悪くない。


脚注
1.ミュンヘン中心市街にあるビアガーデン。多くの観光客が訪れるため地元ではアメリカ人と日本人しかいないとも陰口を叩かれる。政権を盗る前のヒトラーが演説したことでも有名。
2.http://e-words.jp    IT用語辞典より
3.国際連合教育科学文化機関 (UNESCO):本部はパリにあり、教育・科学・文化を通して世界平和と人類の福祉に貢献するため、世界の加盟政府と民間ユネスコ協会が一体となって事業をすすめている。
4.ユネスコが進める事業。人類の宝である世界中の自然、文化、建築などを世界遺産として指定し後世に残そうという運動。日本では屋久島の自然、京都や奈良などの歴史遺産が世界遺産に指定されている。
5.建築家。丹下健三に師事。世界各地で都市計画、大規模建築計画に関わる。60年代のメタボリズム運動が有名。代表作としてはメタボリズム(新陳代謝)を具現化したカプセルタワー、最近の作品では国立新美術館などがある。
6.東側の建物は、無装飾で無味乾燥な印象を与え、一種独特の雰囲気をいまだに残している。赤の市庁舎のあるアレクサンダー広場などに顕著に見ることができよう。一方、西側ではIBA展(ベルリン国際建築展)と称して、20年以上に渡って有名建築家による建築プロジェクトが続けられ街に彩りを添えている。
7.社会性があるさま。社会性:一定の規範を有する社会において、これに参加する個人として円滑に他の構成員に受容され、かつ自己の目的を達成することができる性質のこと。
(大辞林、ウィキペディアより)

8.美醜を見分け判断しようとするさま。(大辞林より)
9.監督:ウォシャウスキー・ブラザース、主演:キアヌ・リーブス。仮想世界と現実世界を逆転させたSF映画。感覚の新しさや着眼点などは各方面で話題を呼ぶ。
    空間を認知する五感が一種の情報信号の受容器であることから、仮想空間が技術的に裏付けられた時の現実空間の在り方や空間認知の方法論を考慮すると、あながち絵空事ではない説得力があった。

10.先進的な建築が次々に発表されている。現代建築のトップランナーであるレム・コールハースやコールハースの下で学んだMVRDV、メカノーなどが有名。
11.主観に基づくさま。また、自分だけの見方にとらわれているさま。(大辞林より)
12.個々の主観の恣意(しい)を離れて、普遍妥当性をもっているさま。(大辞林より)
13.ミュンヘン出身の建築家。ハイテクや前衛に迎合せずに一般的な方法と材料に居直るスタンツは現代建築の系譜で特異な位置を占めている。世界的に大規模案件を多く抱える中、2004年に死去。
14.建築家。オットー・シュタイドル事務所パートナー。ミュンヘン国立造形美術アカデミー助手。シュタイドルの都市計画案の策定に主に従事する。
15.郊外の拡大、都市や田園の郊外化、ロードサイドシティの発生などは、世界共通のテーマとして語ることができよう。ヨーロッパのように中心のある都市においてはペリーフェリー(周縁部)と同義で扱うこともできる。中心から膨張してゆく都市においては、時代精神を表す最先端の場所とも解釈できる。
16.アントニオ・ガウディ。スペイン、バルセロナの建築家。代表作としてサグラダ・ファミリアなど。有機的かつ個性的なデザインで有名。
17.建築の一般的な手法や過去の建築様式には属さず、新しい形態の建築を提案している。歪みや非線形を特色とする。1988年のニュヨーク近代美術館での「脱構築主義者の建築展」でピーター・アイゼンマン、レム・コールハース、フランク・O・ゲーリー、ザハ・ハディド、コープ・ヒンメルブラウ、バーナド・チュミ、ダニエル・リベスキンドが紹介されている。



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