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花や散るらん

2010年10月01日作成 

12月14日、品川区高輪にある泉岳寺は、例年老若男女で賑わう。

赤穂浪士47人が本所松坂町吉良邸に討ち入り、浅野内匠頭の仇を果たし、菩提寺である泉岳寺に凱旋したのが元禄15年12月15日早朝。308年前の冬の出来事である。

忠臣蔵は日本の心か

「忠臣蔵」~歌舞伎、映画、舞台、講談、浪曲、戯曲、小説、多くの文化、演劇シーンで取り上げられ、これほど人口に膾炙したものはない。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」、オールスターで作られる東映の「大忠臣蔵」、深作欣二監督「忠臣蔵外伝 四谷怪談」、NHK大河ドラマ、討入り後の内蔵助の微妙な心境を描いた芥川龍之介「或日の大石内蔵之助」。主君の汚名を雪ぐ(そそぐ)ため、一糸乱れぬ規律と様式美、忠義、時の権力への抵抗、臥薪嘗胆、勧善懲悪。一方、昭和2年の座談会で徳富蘇峰が語る「彼等はなかなか遊戯気分でやっているんです」という捉え方。人により魅力は様々だ。

しかし、リアルタイムで討入りを体験した江戸庶民の喝采から、時代は明治、大正、昭和、平成と移ろい、いつの時代でも「最近の若いものは物を知らない」などと世代の断絶が叫ばれながらも、この史実は300年以上連綿と日本人の心を流れ続けている。

本書は、忠臣蔵という巨大なドラマの塊に新しい角度から光を当て、赤穂浪士の討入りを主旋律としながら、武士の生き様、いのちをかけて咲かせる武士の花、美しさ、男女、親子など人間の情愛の機微を描く。

美しい武士の生き様と権力闘争

主人公は雨宮蔵人。肥前佐賀の角蔵流の使い手である。妻咲弥。心に染まぬ再婚を強いられ、当初は武骨な蔵人を軽んじる。故あって離れ離れとなり、16年ぶりに江戸で再会。蔵人が新婚当時の約束を守り、おのれの心を表す和歌を示し、咲弥はともに生きる道を選ぶ。

“春ごとに花のさかりは
ありなめど
あひ見むことは
いのちなりけり”

江戸では、五代将軍綱吉の生母である桂昌院の叙位を巡り謀略が渦巻く。朝廷と幕府の確執。大奥での代理戦争、暗闘。柳沢吉保の権謀術数。その意を受けた吉良上野介の辣腕。そして吉良を封じ込めるために浅野内匠頭や家臣堀部安兵衛を利用しようとする勢力。浅野内匠頭の短慮、刃傷松の廊下……

絡み合う人間模様

第2部では、様々な人間関係が明らかになっていく。登場人物が人間として活写される。和歌に想いを託し、深めあう男女の愛、夫婦の固い契り、娘への情愛、友への想い、悔恨。幾筋もの人間関係が美しく紡がれる。蔵人と大石内蔵助との出会い。自らの生き方を自らが決めていることに共感し、大石に将としての器を感じる。 明かされる吉良上野介の秘密。蔵人と咲弥が子として育てている香也が実は……

物語は大団円に近づく。蔵人が妻咲弥を救い出すために柳沢屋敷に乗り込むもう一つの討入り。咲弥と香也を“主”とする蔵人は常に凛として美しく、軸にぶれがない。「そのひとのためなら死んでもよいと思える相手こそ主だ」とする価値観。その行動にしたがって、いささかのためらいもない。そしてラストシーン、吉良邸での大石内蔵助とのやりとり・・・・やわらかな雪が宙を舞う。白々と夜は明けようとしていた。

「あら楽し 思いは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし」大石内蔵助辞世の句である。本懐を遂げた男の清々しい心境が表れている。本書も、同様の読後感をもたらしてくれる珠玉の名品である。



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