翻訳とツールの関係
2006年11月01日作成
出来 信一
日本で電話が使われるようになったころ、電話線にふろしき包みを結んだ女性がいたそうだ。電話で遠くの人と話ができるのなら、荷物も送ることができるのだろうと考えたらしい。
電話線でふろしき包みを送ることができないことを理解するのに、電気に関する専門的な知識は不要である。必要なのは、電話は何を意図して開発されたのかという極めて人間的な知識である。この女性は、開発者の意図や機能の限界について十分理解していなかったため、「そんなに便利ならこれもできるだろう」と感覚的に判断したのかもしれない(それともジョークのつもりだったのか...)。
電話を含め、さまざまな技術は進歩を続けてきた。今では電話線でふろしき包みを送ることを考える人はいないだろう。しかし、そこまで極端でなくても、似たようなことは案外多いかもしれない。冷蔵庫を過信して万能殺菌装置のように考えてしまう、などである。
さて、翻訳とツールの関係というのが本稿のテーマである。昨今、PCの普及に伴い、技術翻訳の作業においても便利な道具が登場している。電子辞書や辞書引きソフト、汎用検索ツールなどのツールを活用している翻訳者も多いことだろう。また、TRADOS、TranslationManager、Transitなどの支援ツールを使うよう求められることも少なくない。
翻訳ツールに関しても過剰な期待という危険がある。たとえば、一般の人が「翻訳用ツール」と聞けば、原文を読んで訳文を出力するような自動翻訳ソフトを真っ先に思い浮かべるのではないだろうか。現に1985年に出版された技術翻訳に関するある本の著者は、1990年代になると自動翻訳が発達してコンピュータ・マニュアルの翻訳者の何割かは失業の危機にさらされるのではないか、と心配している。事実、この20年間で自動翻訳の技術も相当進み、一般向けとしてはかなり実用的なものも出現している。しかし、出版の分野ではそれほど利用されていないのが実状であろう。
私は20年近く技術翻訳に携わっているが、コンピューター支援の翻訳作業の形態は、この10数年間基本的にほとんど変化していない。変化したことと言えば、翻訳支援ツールと関連して訳文をチェックしたり原文訳文の対応をチェックしたりするツールが使用されるようになったことくらいだろうか。そのようなツールに関しても、現状では "全自動" 的なチェックや修正を期待できるレベルではない。
過剰な期待の別の面は、ツールを使うと翻訳者の基礎スキルが向上するかのように錯覚してしまうことである。翻訳支援ツールは、翻訳者にも発注側にもいくらかのメリットがある。しかし、翻訳の質を劇的あるいは本質的に向上させるものではない。それは、電話の普及により急に話術が向上するわけではないのと同様である。
とはいえ、だからといってそれらのツールを単に毛嫌いするのも問題だ。ふろしき包みを送ることができないからといって、電話なんかないほうがましだということにはならない。実際、今では電話が広く普及し、社会的要件としてその使用が当然のことになっており、好む好まないに関係なく使用を余儀なくされている。同じように翻訳ツールも、それが理想的な道具かどうかはともかくとして、他の工程との関連で使用が求められるというのが現状であろう。ツールの使用は時代の要請である。
現代人にとって電話はごく普通の道具である。普及し始めた当初とは異なり、過剰な期待を抱いたり逆に嫌悪感を抱いたりすることなく、ごく当たり前のものとして受け止められている。翻訳者にとっての翻訳ツールも、似たような道をたどるに違いない。
翻訳者がツールを使うということは、自分の翻訳スキルに自己満足あるいは固執することなく、社会的要求に応えるということである。各ツールの本来の開発意図をよく理解した上で、指定されたツールという枠の中で自分の翻訳スキルを発揮すること、…今技術翻訳の分野で求められているのは、そういうことではなかろうか。